ローラ・アシュレイ物語 » ブランドの歩き方

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ブ ランドの魅力。それは憧れであったり、ステータスであったり、信頼感だったり人それぞれです。

いろんなブランドの 中で、有名だからというのではなく、本当にお気に入りというブランドが見つかったときは、「やっと見つかった」という嬉しさとともに、ほっと安堵したよう な気持ちになります。まるで、自分の中で足りなかった部分がブランドによって補完されたような。

これは、自分の中 にもってはいるんだけど、どういうものなのかもやもやしていたものが、たぐいまれなデザイナーの手によって現実に形あるものとして目の前に存在しているこ とから来るのではないでしょうか。

まるで自分の思いを表現したかのような、「自分だけのブランド」。そんなブラン ド探しのお手伝いができれば幸いです。

ローラ・アシュレイ物語

ローラ・アシュレイとはロンドンで創始された英国を代表するブランドです。

Laura Ashleyは心の安らぎを大切にしたライフスタイルを提案しています。
古き良きイギリスを感じさせるデザインのカーテンやベビー服、家具が人気です。

ローラ・アシュレイのロマンチックでフェミニンな感性、独特な色づかい、
そして伝統と気品に満ちたデザインはイギリスはもとより、
世界中の多くの人々を魅了して、根強いファンがいます。

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ローラアシュレイの生い立ち

1953年にローラとローラの夫のバーナードのアシュレイ夫妻によって、ローラアシュライは、はじまりました。
創始者であるローラ・アシュレーは、1925年にイギリスの片田舎ウェールズのごく普通の家庭に生まれたんだそうです。

ローラ・アシュレイの住む、当時のウェールズは、
製鉄工場や工員たちの住宅が並ぶ街であり、とてもきれいとはいえなかったようです。

ただ、その中で、19世紀後半に建てられたゴシック様式の教会だけは美しかったようで、
ヴィクトリア時代のスタイルを愛したローラ・アシュレイには実にシンボリックな存在だったようです。

ローラ・アシュレイの子供時代は、弟や妹の誕生で、両親にかまってもらえず、
草や可憐な花の繁みで一人遊びをするのが日常の生活を送ったようです。

また、ローラ・アシュレイの弟は病弱だった関係で、たまたま叔母さんが手伝いに来ていました。

ローラ・アシュレイは、その叔母さからが大きな影響を受けたのです。

ローラアシュレイの誕生

叔母さんは、素敵な本やリバティのドレスを見せてくれたり、
上等の茶器でお茶を入れ、子供のローラ・アシュレイをもてなしてくれたのです。

ローラ・アシュレイは、よりヴィクトリア朝のエレガントで伝統的な生活に強い憧れをもったようです。

ローラ・アシュレイは、1949年バーナード・アシュレイとベディトンパークの教会で結婚式を挙げます。

そして、主婦として家事を切り盛りしていたある日、
勤め先の都合でヴィクトリア・アルバート博物館へパッチワークの出品の話が持ち上がりました。

しかし、出品をしようにもローラ・アシュレイが思うようなパッチワーク用の布地はありませんでした。

そこで、ローラ・アシュレイは図書館で研究したといいます。

機会好きの夫の協力もあり、ローラ・アシュレイは自分で生地をデザインしプリントを完成させました。

この自宅の屋根裏部屋で作り出した作品が、ブランドのローラ・アシュレイの始まりなのです。

ちょうどこの時、オードリー・ヘプバーンが「ローマの休日」で世界中を席巻していたのは奇遇でした。

この映画中でヘプバーンが頭につけていた三角のスカーフは英国で大流行しましたが、ローラ・アシュレイは同じようなヘッドスカーフを作り販売し始めたのが大ヒットとなり、ローラ・アシュレイは押しも押されもせぬ大ブランドへと成長していったのです。

ローラ・アシュレイは4人の子供をもつ主婦として家庭を守りながら、世界中にファンを持つデザイナーになったのでした。

憧れのヴィクトリアの世界や素朴で、清楚で、自然なものをあふれ出るアイデアでデザインをしつづけたローラ・アシュレイは、1985年に不慮の事故で亡くなりました。

60歳という年齢は、これからもまだまだローラアシュレイの作品を世に出し続けてくれたのではないか、ということを考えるととても残念ではありますが、
ローラ・アシュレイの夢と主張は子供たちや残されたスタッフに確実に受け継がれており、また、ローラ・アシュレイというブランドは今も世界中の人々を魅了し続けているということは、ローラアシュレイが永遠の存在のようなものになったといっていいのかもしれません。

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